故栗原剛君と故小林康人君(9組)の墓参りの報告
栗原剛君の墓は、JR高崎線・岡部駅から3kmほどの畑の中にあった。
先日、クリの一番上の兄さんで作家の裕さん(ペンネーム:中丸明、上田高校58期卒)が
亡くなり、中丸明氏を偲ぶ会が徳間書店の主催で行われ、塚田道明君と丸山隆平(9組)が出席した。
そこで、クリの2番目の兄さんからお墓の場所をお聞きし、塚田、丸山と、宮原豊君(9組)の
3名で、GWの5月5日(月)、クリがこよなく愛した日本酒とビール、そして花を捧げてきた。
宮原によると、この場所は渋沢栄一の生家に近いとのことで、なるほど墓地は栗原家と渋沢家
だけだった。栗原家はこの地から出て、戦前は旧朝鮮にいたことは、中丸明氏の経歴が京城生まれ
となっていることから分かる。終戦後上田に来たようだ。
クリがクリスチャンだったことは、これも中丸明氏の著作のなかで「子どもの頃に日曜日に
教会に行かされることが嫌だった」と書かれていることから知ったが、墓石には十字架と聖書の
一節が刻まれていた。
栗原 剛 昭和60年5月15日没(享年36)
東京外語大アラビア語卒後、アラブの石油地図作成に従事。年の半分を現地で、
半分は日本で酒と洋書で優雅な生活を送っていた。
小林康人君の墓は、出生地の菅平の一角、スキー場の中腹にある菅平区管理の墓地の中心に
あった。
菅平「第一館」を経営するお兄さんによると小林家は戸倉の方から出て、康人のおじいさんの
時代に菅平に移ったとのこと。
康人はスポーツ抜群で、スキーは当然、プロ級。高校時代にお邪魔した柄澤則夫君(9組)に
よると、太郎という家の前のゲレンデの頂上から直滑降で柄澤の目の前まで一気に滑り降り、
度肝を抜いたという。
大学時代、康人と下宿を共にしていた塚田は康人が亡くなった後も、何度も訪れ、お母さんの
思い出話にお付き合いした。そのお母さんも亡くなられたが、「第一館」はリニューアルされ、
スキー客だけでなく、康人の母校・早稲田をはじめとするラガーマンの合宿のほか、前日は全国の
女子サッカー大会で3,000人が集まり、大賑わいだったと、義姉さんが語ってくれた。
小林康人 平成4年1月没(享年43)
早稲田大政経学部・政治学科卒後、日産生命で創業者・鮎川儀介の後継者たらんと活躍。
スキー、野球、駅伝のほか、競馬、麻雀、ラグビー観戦好きな典型的早稲田マンだった。
平成20年5月7日、丸山隆平記
故栗原君墓参
宮原君と丸山君(右) 塚田君と丸山君(右)